3200年前のフェニキア人は、日本にもレバシリ(レバノン・シリア)商人という言葉があるくらい貿易やビジネスに長けていました。その要となっていたのがレバノン杉。切れば造船にピッタリ、精油を採ればミイラの防腐剤になるということで重宝され、地中海東岸地域に大きな富をもたらしました。
このレバノン杉を国旗の中央にドーンと構えるレバノンは、かつてオスマン帝国の支配下にありました。日本では織田信長や豊臣秀吉が頑張っていた16世紀(戦国時代後期)のことです。第一次世界大戦後の1920年からはフランスの委任統治領となり、1943年に岐阜県ほどの面積で独立すると、アラブ連盟に加入しました。その後は商業や金融で栄え、“中東のパリ”と呼ばれるほどの存在になりましたが、1975年にレバノン内戦が勃発してしまいます。この内戦は15年にわたって続き、レバノンをズタボロにしました。
内戦が起こる理由は国や地域によって様々です。レバノンの場合は、この国がヨーロッパ・アジア・アフリカという3つの大陸の交差点にあり、昔から多民族・多宗派だったこと。そして、その複雑な事情を無視して英仏が独立時の国境を引かれてしまったことが主な理由と思われます(こういう風に引かれた国境は不自然な直線です)。
多民族・多宗派というのは本当に大変で、現在のレバノンにはイスラム教(シーア派、スンニ派、ドルーズ派等)とキリスト教(マロン派、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、アルメニア正教等)の18の宗派が共存しているのですが、レバノンは、それぞれの宗派に議席を割り振り、大統領をキリスト教マロン派(カルロス・ゴーン氏はこれ)、首相をイスラム教スンニ派、国会議長をイスラム教シーア派から選出することで政治的なバランスを保ってきました。
しかし、多民族・多宗派の地域では団結力や帰属意識が育ちにくいため、バランスを保っていたと言っても最初から片足で立っていたようなものでしょう。議席数を巡ってイスラム教とキリスト教が争ったり、中東戦争が何度も起きたり、アラファト議長率いるパレスチナ解放機構(PLO)がレバノンに移ってきたりするうちに、なけなしのバランスは徐々に崩れていきました。そして、キリスト教マロン派とPLOの仲が悪くなり、イスラム教のシーア派とスンニ派が各々の武装組織を作って対立するなどして、レバノンは内戦に入っていきます。
でも、本当の悲劇はここからです。隣国のイスラエルは、この内戦に介入する機会を虎視眈々と狙っていました。そして、PLOがレバノン南部を対イスラエル闘争の前線としたことで、イスラエルにはレバノン南部を攻撃・占領する名目が立ちました。“正当な理由”ができたんです。1978年、イスラエルがレバノン南部に実際に侵攻すると、PLOだけでなくシリアやイランまでもが対抗し、レバノンのシーア派組織を支援しました。そこから生まれたのが、今日のレバノンを実質上しめているシーア派武装組織ヒズボラです。
12年後(遅!)の1990年に国連安保理が「内戦はもう終わり!」という決議を下すと、イスラエルは一応撤退し、自国に被害が及ばぬようにとレバノン側で戦っていたシリアも撤退しました。しかし、ヒズボラとイスラエルは相変わらずバチバチしていて、2006年にはイスラエルが再度レバノン南部に侵攻。民間人160人が死亡、100万人が避難する事態となります。その前年の2005年にはレバノンのハリリ首相(イスラム教スンニ派)が暗殺され、シーア派のヒズボラの関与が取沙汰されました。
このあたりでヒズボラの存在は完全に悪となり排除されるかと思いきや、この組織は勢力を拡大し続け、国内の医療や教育を推進。いまやレバノン国軍やレバノン政府よりも有能で、市民からの支持も高い“国家の中の国家”と言われるまでになっています。
内戦に懲りたレバノンは、キリスト教とイスラム教の議席数を同じにすることで宗教間の対立をなくそうとしますが、その裏では警察や高級官僚、司令官が派閥を作り、自分の利権を囲い込むようになります。要は汚職がはびこっている状態です。とりわけ大きな足かせとなっているのが「3分の1の拒否権」の存在です。これは「閣僚の3分の1が拒否すれば、その法律は成立されない」というものなのですが、こんなものがあれば当然、閣僚のみなさんは自分の利益に反する法律の成立を拒否します。だから10年以上予算が通らない、場合によっては大統領さえ選ばれない、政治的空白が日常化するという事態に陥っているわけですね。2019年10月には、この腐敗した政府に対する大規模な抗議デモ(10月革命)が起こり、首都ベイルートはほむらの煙で真っ赤になりました。
そして、世界中がコロナで大混乱に陥っていた2020年8月4日、ベイルート港の倉庫で数百トンの硝酸アンモニウムが発火して、小さな原爆が落ちたかのような大爆発を起こました。この国では本当に息つく暇もありません。港は瓦礫の山と化し、ベイルート市内のビルの窓は爆風で割れて飛び散り、現場にいた作業員を含む218名が亡くなりました。
その混乱で内閣は総辞職。貨幣価値が失墜し、今では国民の80%が貧困状態と言われています。私がレバノンを訪れた2022年6月の時点では、平時の1ドル1,500LP(レバニーズ・ポンド)が298,000LPになっていました。観光客にしてみれば、1ドルで買える現地通貨が増えるので夢のような話です。100ドルも両替すれば、両替したことを後悔するくらい分厚い札束がもらえます。でも、レバノン人にしてみれば、何を買うにも今まで以上のお金を出さなければならなくなるし、貯蓄の価値も失墜するので悪夢のような話です。
レバノンのインフラも大部分が崩壊しています。その背景には、もともと不安定な政治情勢、コロナ禍、ベイルート港爆発事故、インフレという多重苦があります。加えてレバノンの公的機関には世界的に高騰している石油(発電に必要)を買うだけのお金がないため、国内では電力が不足して、ほぼ慢性的に停電です。電力が不足すると、十分な水を汲み上げられないどころか、場合によっては汲み上げ作業が完全に停止してしまうこともあり、公共の水道局からのキレイな水の供給が激減しました。
このような状況を受けて国民の多く(特に商売人)は、最低でも半日くらいは電気が使えるようにと自費で発電機を購入しているのですが、この発電機を売るビジネスマンが政治家と癒着していることが多いので、問題が大きくなることはあっても小さくはなりません。給水システムに関しても、政府はインフラ整備を行う代わりに悪名高いペプシやネスレとライセンス契約を結んでしまったので、国民は民間業者がトラックで運んでくる品質保証のない水か、ペットボトルの水を購入するしかない状況です。
国内の問題だけで吐き気がするほど満腹なのに、レバノンは人口1人当たりの難民受け入れ数が世界一多い国で、内戦が続く隣国シリアからは10年間で約150万人の難民を受け入れていると言われています。1年で15万人ずつ増えてきた計算になりますが、15万人というのは東京都多摩市や岐阜県大垣市の人口と同じくらい。学校の教室や病院のベッドが不足するのも当然です。また、レバノンの人口は530万人なので、その約35%がシリア難民ということになります。
ここまで混乱を極め、壊滅的な状況にあるにもかかわらず、レバノンは海外から大規模な援助を受けることができていません。その主な理由の1つは、英米と欧米諸国がヒズボラをテロ組織に指定しているからです。言い換えると、ヒズボラが政治に関わっている以上は海外からの支援がされないということです。また、フランスはレバノンの元宗主国ということもありヒズボラに寛容ですが、「国内の政治を自分たちで何とかしないと経済的な支援はしない。問題を国民に押し付けてばかりじゃダメだぞ!」というスタンスを取っています。これに関してはアラブ連盟も同様で、イランは「いくら兄弟の頼みとはいえ、レバノンの内政問題には干渉しない。レバノン国民が合意したことであれば、それが何であれ支援するけどな!」と言っています。
2023年10月、パレスチナのスンニ派勢力ハマスがイスラエルに前代未聞の越境攻撃を仕掛けると、イスラエルはハマスが統治するガザ地区を徹底的に破壊し始めました。その非人道的な報復行為にアラブ諸国は怒り心頭。ヒズボラはスンニ派ではなくシーア派ですが、ハマスとは反イスラエルの武装組織ネットワーク“抵抗の枢軸”で繋がっています。そのため、ヒズボラはハマス側について紛争に加わり、シーア派国家イランの支援を受けて、イスラエルに隣接するレバノン南部からイスラエルにミサイル攻撃を仕掛けました。
レバノン南部の住民にとっては、まさに2006年の再来です。しかも、今回は2006年を余裕で凌ぐ規模の被害が予想されるとのことで、多くの住民がレバノン中・北部に避難を開始しました。山間部のイスラム教ドルーズ派は、他の宗派やキリスト教の避難民も受け入れる準備を進めています。外敵に攻められてやっと国内が1つになるというのは、なんと皮肉なことでしょうか。そして、レバノン南部がイスラエルの攻撃を受けているのはそこにヒズボラがいるからですが、レバノン南部がガザと同じ状況になっていないのもそこにヒズボラがいるからであるというのも、また皮肉な話です。
レバノンの友人に想いを馳せます。去年、私がイスラエルにいることを知ったときは「なぜ行くの!イスラエルは私たちの敵なのに!あいつらのことを考えると反吐が出る!」と言って激怒しました。彼女はベイルートで働いており、2023年12月の時点では「ああ、あれはレバノン南部だけだから大丈夫。ここは仕事も平常通りだし、飛行機も普通に飛んでるわ」と言っていました。もう一度言いますが、レバノンの面積は岐阜県と同等です。南部の海津市では空爆で民家が破壊され、人々が逃げまどっているという時に、中部の郡上市では人々が笑顔で友達と電話しているということです。その人たちがクレイジーなんじゃありません。いつの時代も戦火まみれという中東の歴史が、悲しくもそれを当たり前にしているのです。