レバノンの首都ベイルートでは10歩ごとに悲惨な記憶が蘇る。美しい教会の隣には内戦で骨組みが丸出しになった建物が立ち、ブランドショップの隣には10月革命で1階の窓が割られたビルがあり、近代的なマンションの前の壁にはベイルート港爆発事故で亡くなった人々のイラストが数十メートルにわたって貼られている。
その上、街中のATMは故障中か破壊後で使用不可。慢性的な電力不足で信号機は動いてない。大きな交差点では兵士が勘を頼りに交通整備。この問題は一般家庭にも波及しており、私が借りていたアパートでは、発電機で電気が供給される時間帯が9時半から11時半、12時半から15時、18時から深夜と決まっていて、それ以外の時間帯は停電だった。公共交通機関はドアを開けたまま走るマイクロバス。時刻表など存在しない。電気がないと水を汲み上げられないので、毎日家で1時間トラックが水を運んでくるのを待たなければシャワーすら浴びられない。歩道はゴミと野良猫だらけ。俗に言う3K(きつい、汚い、危険)の生活環境。
それなのに、この街はボロボロに見えないどころかポジティブなエネルギーで満ちている。空は高く、突き抜けるように青い。けたたましいクラクションの音ですらカッコよく聞こえてしまう。なぜかって? ベイルートには誇り高きヒーローがたくさんいるから。通りすがりの一般市民にアシタカやナウシカみたいな人がいっぱいいるから。
仕事の休憩時間中に、内戦の銃痕が生々しいホリデーインホテルの壁を見上げながら「せっかく働いて貯めた金を銀行に預けたら、銀行ごと消えちゃうんだもんな。まったくやってらんねーよ」とやるせない顔で苦笑したと思ったら、いま会ったばかりの私に「うまいから食え」と言ってナッツを差し出してくれた普通のおじさん。昨日のことでくよくよする意味も明日のことを考える意味もない国に生まれたからこそ、今日のことだけ考えて生きる術を持っていた。
「この国は何もしてくれないから、この社会は一般市民が作り上げてる。だから俺たちは喧嘩しない。みんな仲間だ」と、当たり前のように言ったカフェの店主。「コロナのときも、そこの窓をコンコンって叩いた人に無料でコーヒー出してたよ」。優しくて暖かい瞳の奥に虚無感と悲しみを携えていた。
タバコの煙をくゆらせながら「私たちが諦めないのは、これまで何度も立ち上がってきたからよ」と鋭い目つきで語った私と同年代の女性。私をバイクの後ろに乗せて、一部の人しか知らないというターコイズ色の小さな入り江を見せてくれた。
ファラフェル屋さんのレジ横で「この店は1975年からあるんだよ。あの内戦を生き延びたんだ」と教えてくれた3代目の店主。巨大なファラフェルサンドイッチ(実際はロールみたいなものである)は、ハイパーインフレで1本100円程度になってしまった。その店主の許可を得て私が動画を撮り始めると、流れ作業でサンドイッチを作る男性4人が順番に手を振って、最後の1人はピリ辛のファラフェルを食べて鼻水を流す私に気が付き、わざわざカウンターを出てティッシュを渡しに来てくれた。こんなことが起こるのは私が女だからじゃない。彼らがレバノン人だから。
バラを売るシリア難民の男の子だってヒーローだ。チョコレートをあげた翌日に再度出くわし、「今日は何も持ってないよ」とジェスチャーで伝えたら、「いいんだよ、昨日はありがとう」と言わんばかりの笑顔でハイタッチをして去って行った。この子はちゃんと知っている。この世には、毎日違う服を着て、ピカピカの靴を履いて、学校で授業を受けて、1日に3回も温かい料理を食べて、ふかふかの毛布に包まりながらスマホで遊べる優雅な人生を無条件に与えられた子供たちが星の数ほどいることを。そして、それが自分にはどうしたって手に入らない人生であることを。でも、颯爽と歩き去る背中を見ればすぐに分かる。彼は、そういう子供たちより自分が劣っているなんて思ってない。むしろ「これが俺の人生なんだから邪魔するなよ!」。それくらいの意気込みで生きている。
ベイルートという街は「生きるってどいうことだ?」とか「やさしさってなんだ?」とか、そういうことを毎日しつこく問いかけてくる。そして、あるとき気付かされる。「私が今までこだわっていたものって何なんだ? ああ、本当は全然大事じゃないことばかり気にして生きていたんだな」と。そんな自分が情けなくて、でも気付けたことが嬉しくて、それを私に教えてくれた目の前の人たちがカッコよすぎて涙が出た。
群れを嫌い、人の指図を受けず、我が道を突き進む一匹狼。でも、いざとなったら仲間のために何でもするよ。そんな覚悟と分かりにくい優しさを持ち合わせたベイルートのヒーローたちに私は今日も恋をしている。