パレスチナへようこそ

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その翌日、アブディス出身の元パレスチナ首相アフマド・クレイ氏が85歳で亡くなった。公的な場所で葬儀が行われたのち、クレイ氏の亡骸は地元アブディスに送られて、アラバディ姉妹の家から徒歩15分ほどの墓地で土葬された。私は姉妹と一緒に、その様子をテレビで見ていた。小さな墓地には見た感じ百人以上の男性住民が集まっている。イスラム教徒が亡くなった際の礼拝、埋葬、葬式には基本女性の姿がない。ファドワによると、亡くなったのが身内であっても、女性は後方で影を薄くしているか故人の家で集まるかのどちらか、ということだった。

関係者が拡声器を通してクレイ氏の功績を称え、昨日の襲撃事件に対する怒りを露わにするのを聞いていると、突然テレビの中のみんなが鼻と口をTシャツの襟で覆い、墓地の外に向かって走り出した。「イスラエル軍が催涙ガスを投げたのよ」とファドワが言った。「あの人たちは私たちが集うことを心底嫌う。話し合いや学びの場を潰しにくる。私たちに賢くなってほしくないから」。その淡々とした口調には悲しみと怒りがギュッと凝縮されていた。お葬式さえ静粛に行えない世の中って一体何だ? どれだけ人の尊厳を奪い取れば気が済むのか。悔しい。念のため自室の窓を閉めてと言われ、階段を上りながら思った。ドアに貼られた「Free Palestine, Boycot Israel パレスチナを解放せよ、イスラエルを拒否せよ」のステッカーが私を真っ直ぐ見つめてくる。

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ファドワの経験は婦人民主新聞「ふぇみん」の記事にもなった。

その日の深夜1時頃、近くのモスクのスピーカーから大きな声が聞こえてきて目が覚めた。イスラム教の礼拝は1日5回で、その時刻が近付くとイマームと呼ばれる聖職者がアザーンを唱え、礼拝を呼びかける。でも、夜の礼拝はとうに終わり、夜明けの礼拝の時間までにはまだ数時間ある。それに、アザーンのように力強さの中にも穏やかさがあるような響きじゃない。何かを扇動するような荒々しい響きを感じる。言葉の意味が分からないから余計に胸がざわつく。万が一、聖戦の呼びかけだったら大人しく寝てはいられない。

屋上に出て、電気を付けずに周囲を伺っていると、四方八方から車のクラクションやドラム缶を叩く音が聞こえてきた。それに合わせてドスの効いた男性の歌声が響き渡り、真夜中のパーティーになっている。翌朝ファドワに聞いたところ、ナブルスの件と葬儀の件で住民のフラストレーションが溜まっていたので、それを発散させるために「アブディスの若者よ、好きなだけ歌って踊れ」という呼びかけがあったそうだ。

パレスチナでは、どの街でも、アラブの同胞のために死んでいった少年や青年の顔が壁にスプレーで描かれている。それもかなり繊細に。顔写真付きのポスターも貼られていて、命日には故人の家の近くで追悼式が開かれる。抵抗せずに家で大人しくしていれば、まだ生きていたのかもしれない。でも、その子たちには抵抗しなければならない理由があった。他人にとっては無意味でも、その子たちにとっては自分の命より重要な意味があった。

この空気に触れることは大事だけれど、飲まれたら最後、あらゆることが許せなくなってしまうので、その日はアブディス大学通りのファラフェル屋さんで気分転換をすることにした。ここはいつも分厚めのピタの間に大玉のファラフェルを4個挟んで押し潰し、カリッと揚がったナス、かなりしょっぱいピクルス、しなしなのフライドポテトを詰めて、マヨネーズとチリソースをかけてくれる。これで230円。エルサレム中心部では700円、逆にカイロでは100円もしない中東の定番軽食メニュー。でも、この日はサンドイッチの中身をプレートで頼み、ピタ2枚とフムスを追加し、店内で食べることにした。

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学生たちはまだ授業中なのか、はたまたもう帰ったのか、2階席はガラガラだった。ピタを1枚食べたところで満腹になってしまい、残りを包む紙をもらいに行くと、片付け係のおじいさんが「ちょっと待て」と言いたげに片手を挙げてから黄色いビニール袋を取り出して、ピタを8枚も詰めて渡してくれた。私が驚いて「いくら?」と聞くと、またしても有無を言わさぬ顔つきで「金はいいから持っていけ」と笑って言った。

こうやってパレスチナは対極のもので私の胸をいっぱいにする。愛と憎しみ、真実と虚偽、破壊と建設、寛容と分断、服従と抵抗、抑圧と解放。その中間にそっと立っていることはできない。シーソーの上を歩くみたいに両極の間を行ったり来たりしながらバランスを取らないと、圧倒的なエネルギーに飲まれてしまう。ひとことで言えば面倒くさい場所なのだ。だから、世界の大国は火種をまくだけまいてパレスチナを去り、見て見ぬフリを突き通す。

この場所が歓喜に揺れる日は来るのだろうか。パレスチナ人はそんな疑問さえ口にしない。ただ、理不尽に奪われた自由を取り戻すという悲壮な決意で毎日を黙々と生きている。その姿が同じ人間として愛おしいから、どんなに面倒くさくても私はパレスチナが大好きだ。