パレスチナへようこそ

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エジプトのシナイ半島にあるダハブ(Dahab)を出る日は、朝から久々にドキドキしていた。今日これから起こることには未知の要素が多いからだ。予定通りに進めばラッキー、進まなくて色々面倒なことになっても、それはそれで面白い。なるようになるだろうと考えながら荷物をまとめる。エジプトとイスラエルの国境は、ダハブからアカバ湾に沿って北に2時間ほど走ったところにある。まずはTaba(タバ)までバスで行き、そこから先は入国管理局まで歩く予定だ。

ダハブのバス停に予想通り30分遅れで大型バスが到着した。このバスはGo Busという会社が運行しており、エジプトの主要都市を格安で繋いでくれる。乗客は10名ほどで、私は最前列右側のシートに座った。通路を挟んで左側には別の運転手さんが控えている。私はレーズンの袋を取り出し、控えの運転手さんと交互に食べた。途中で大半の乗客が下り、タバまで来たのは私と2人の白人男性だけだった。

エジプト側の国境では、お腹の出たサングラスの役人がパイプ椅子に座って観光客から出国手数料を徴収している。アライバルビザ(入国手数料みたいなもの)で25ドルも取っているのに欲深い。国境を歩いて渡り、イスラエルの入国管理局に入ると、目が全く笑っていない女性の入国管理官が私の前に立ちはだかって、入国の目的や滞在先、連れの有無など一般的なことを聞いてきた。ここでは嘘も方便。すべて正直に答えると、個室に呼ばれて尋問されたり、荷物を手作業で1つひとつ調べられたり、滞在可能な期間が短くなったりすることがある。

事実、ダハブから同じバスで来た白人男性のうちの1人は、巨大なスーツケースにコーランやイスラム教とユダヤ教に関する書物、タブラやダルブッカと呼ばれるエジプトのドラムを入れていたせいで約5時間つかまった上に、通常の3ヶ月ではなく1ヶ月の滞在許可しかもらえなかった。もう1人の男性は人生初の海外旅行でパスポートがまっさらだったにも関わらず、「イスラエルからヨルダン(簡単に言うと敵国)に陸路で渡り、1週間くらいでまたイスラエルに帰ってくる」という、いかにもイスラエルの入国管理官の機嫌を損ねそうな発言をしたからか3時間拘束された。

椅子に座って10分ほど待っていると名前を呼ばれ、さっきとは別の女性から入国カードを渡された。世の中にはパスポートにイスラエルのスタンプがあると入国できない国(イスラエルと敵対するアラブ諸国、マレーシアやインドネシアなどのイスラム教国)がある。これは多くの観光客にとって非常に不都合なことなので、イスラエルは2013年くらいからスタンプを押す代わりに入国カードを渡すようになった。でも、タバから陸路でエジプトを出た際のスタンプを見れば、そこから陸続きなのがイスラエルしかないので、やはりイスラエルに行ったことが判明し、他の国で入国を拒否されることがある、と聞くけれど、私のパスポートは1年以内に有効期限が切れるので、どっちみち更新だ。

入国管理局を出て、エイラット(Eilat)という街へ行くバスに乗る直前、運賃がラヴ・カヴカード(イスラエル版Suica)か専用アプリでしか支払えないことを知った。詳細は省くけれど、このときの私にはいずれも入手不可能だった。背後ではタクシードライバーの目が光る。砂漠に1人取り残された人間の子が飢え死にするのを待つハゲワシのような目つきだ。ダメもとでバスの運転手に状況を伝えると、すんなりタダで乗せてくれた。個人とのこうしたやりとりは、国家としてのイスラエルに刃向かいたい私の心に暖かい風を吹かせる。

エイラットの入国管理局を出たところ。局員には妙に女性が多かった。

エイラットのホステルに着いた私は、その足でSIMカードを買いに行き、バスターミナルでエルサレム行きのチケットを買った。ホステル近くの超絶に美味なエチオピア料理店で夕食を楽しんでいると、出張でエイラットに来ているというイスラエル人から、ここからどこへ行くのか聞かれ、私は「エルサレム」とだけ言った。嘘ではない。でも、エルサレムはコンクリートの壁で西と東に分断されており、私が行くのはユダヤ人が住むイスラエルの“西エルサレム”ではなく、アラブ人が住むパレスチナの“東エルサレム”郊外にあるアブディス(Abu Dis)という小さな街だ。

それを言わなかったのは、そのほうが身のためだからだ。普段はバカ正直な私にそれを教えてくれたのは、その昔ホンデュラスのダイブショップで知り合ったイスラエル人の女性だった。数年ぶりに連絡して彼女の国に行くことを知らせたら大喜びしてくれた。でも、宿泊先を聞かれた私が正直にアブディスと告げた途端、パタリと音信が途絶えてしまった。これと似たようなケースがもう1件あったので、それからはもう本当の行き先を言わなくなった。仮に彼らの頭の中でパレスチナ人が排除するべき“テロリスト集団”であるならば、そのパレスチナ人が住む土地へ行く私のような人間もまたテロリスト、あるいはテロリストの疑いがある人物と思われるのかもしれない。いずれにせよ、イスラエル人にはイスラエルへ行くと言い、パレスチナ人にはパレスチナへ行くと言うのが一番だ。

翌朝7時。エイラットのバスターミナルからエルサレム行きのバスに乗り、前年の夏、ヨルダンを北上しながら左手に見た死海を、今度は右手に見ながらイスラエルを北上する。ターコイズブルーに光る水面と、その水面を縁取る真っ白な塩がキラキラ眩しい。

4時間後、バスの窓から超正統派ユダヤ教徒の群れが見えてエルサレムに到着したことを知る。眠い目をこすりながら、本当に白いシャツ、黒いジャケット、黒いパンツ、黒い靴、黒いハットなんだ、と少し驚く。お昼の12時頃だった。バスターミナルの向かい側のビルのフードコートで軽食を取ろうとするも、ダハブでは100円もしないようなファラフェルサンドが600円もするのを見て、分かってはいたけれど笑ってしまう。

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超正統派ユダヤ教徒の若者たち。

そこから私はライトレールと呼ばれるトラムの駅に向かった。途中、方角を調べるために広場の円形ベンチに座って周囲を見ると、不満気な顔をした人たちが下を向き、自分の周りをグルグルとハイスピードで回っているような感覚に襲われる。ビルとビルの狭間から空を見上げて息をつく。気温は高く肌は汗ばんでいるのに、冷たくて殺伐とした空気が流れる。たった1時間で、この街は私の感覚を圧倒していた。

満員のトラムでダマスカスゲートまで行き、そこから歩いて別のバスターミナルを目指した。ダマスカスゲートは西エルサレムのアラブ人地区。大音量で音楽をかけ、それに負けない大きな声でフルーツを売る人々がカイロの一角を思い出させる。バックパックが重たくて疲れ気味だった私は、その騒々しさを少しうっとうしく感じながら歩き続けた。