ルビア・ティルタで働くダイブマスターやボートマンは、この海で物心ついた頃から潜っている大先輩だ。見つけにくいパイプフィッシュやタツノオトシゴがどこにいるかも、どの海域で何時くらいに潮の流れが強くなるかも、水温があと何度下がればデビルレイ(マンタに似た巨大なエイ)の群れが戻ってくるかも知っている。海上でも水中でも、彼らがOKと言えばOKで、NOと言えば絶対NOだ。
それでも彼らがインストラクターにならない理由は主に2つ。1つ目は英語力。PADIのインストラクター養成講座および実技・筆記試験は、残念ながらインドネシア語で受けられない(これも2016年時点の話)。観光客とのコミュニケーションを通して日常会話レベルの英語は身に付けているけれど、小学校しかない島で育った彼らは英語での読み書きを学んでいない。
2つ目は、お金の問題。メジャーな観光地の大きなダイブショップは、数年間そこで働くことを前提に資格を取るための費用(場所によって違うけれど、この辺りでは総額約20万円)を肩代わりすることがある。でも、小さな島の小さなショップは、貴重なスタッフがインストラクターになった瞬間に島を捨て、メジャーな観光地へ出稼ぎに行ってしまうことを懸念して肩代わりしてくれない。
だから彼らは毎日コツコツ働くわけだが、通貨価値の低い国で家族を養ったり家を補修したりしながら、それだけの費用を貯めるのは難しい。ゆえに、諸外国から来た“リッチ”なインストラクターが少し嫌味を言われたり冷たく当たられたりするのは当たり前。そういう背景を理解して一緒に働きたいと思ってもらえるように努力しないと、ローカルスタッフとの距離が広がり、1ヶ月でクビになる。
そう言い切れるのは、第一章で登場したモロッコ人のインストラクターが実際に1ヶ月で消されたからだ。一緒に過ごした時間が少なすぎて名前さえ覚えていない。ここでは便宜上マハディとしておこう。
マハディはショップに対する不平不満が多かった。その内容は、ボートのスケジュールが変わりすぎる、器材に不備が多すぎる、スタッフの動きが遅い、などなど。先進国のダイブショップや、同じインドネシアでもバリで欧米人が経営しているダイブショップと比べれば確かにそうだ。事実、浮上ポイントで待っているべきボートマンが対岸で釣りをしているとか、15時にボートを出すはずのスタッフが家で昼寝をしているとか、タンクに最終検査日の刻印がないとか、レギュレーターのマウスピースが破れているとか、改善できる点を挙げれば切りがなかった。プロのダイバーとして安全面に妥協したくない気持ちは分かる。
でも、このショップはインドネシアの離島スタンダードで機能している。それを自分のスタンダードに合わないからって、マハディのように威圧的な態度で改善を迫ったり、国の教育水準が低いと言ってインドネシアを小バカにしたり、反論してきたローカルスタッフの胸ぐらを掴んで壁に押し付けたりするのは完全にお門違い。それに、彼らは歴史あるダイブショップを経営するビジネスマン。彼らの立場を尊重して論理的に相談すれば、前向きな反応を見せてくれる。仕事が遅いと思うなら、自分が率先してやればいい。ボートマンに浮上ポイントで待っていてほしければ、 「あとでカワイイ友達の写真見せるから待っててね」 とか「早く戻って一緒にランチ食べたいから待っててね」とか言えばいい。冗談と分かっていても、ちゃんと待っていてくれる(実証済み)。
残念ながらマハディは、自分の正しさを武器にして何度もローカルスタッフを傷付けた。痺れを切らしたスタッフたちは無言で抵抗。イスカンダルは彼の受け持つ生徒を減らし、ボートマンは彼を乗せなくなった。
そして、マハディが食堂で会った観光客にルビア・ティルタの悪口を吹き込んでいたという目撃情報が入ってくると、ドデント兄弟は警察と入国管理局に連絡し、その日のうちにマハディをインドネシアから追い出した(マハディとは同じ敷地内のバンガローに住んでいたので、深夜の逮捕劇も目撃した)。
怖いと思うかもしれないけれど、そうでもしないと東南アジアの小さな島々は、いずれ諸外国の事実上の“植民地”になってしまう。よそ者によって、その土地の文化や人々の価値観や温かい心が容易に踏みにじられてしまう。だから彼らはマハディを追い出した。それが彼らの正しさだ。
でも、これだけは誤解のないように言っておきたい。どの国でも地元の人は、郷に従おうとする者を必ずと言っていいほど懸命に守ってくれる。