君の正しさ、僕の正しさ

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減圧症には1型と2型がある。1型は関節や筋肉の痛み、肌の腫れや痒みが主な症状で基本的に命を脅かすことはない。一方の2型では脳や心肺がダメージを受けるため、生命が脅かされることもある。ちなみにコミック『海猿』の工藤くんは、緊急浮上による2型減圧症で亡くなった。

幸いルイーズは落ち着いているけれど、まだ20歳そこそこだろう。内心は不安なはずだ。ショップにある緊急用酸素ボンベで100%の純酸素を吸ってもらい、彼女の容体を数分おきに記録する。店長のユディが例の病院に連絡を取り、再圧チャンバー(減圧症の治療に用いられる装置)の使用可否を聞く。私はダイバー向け医療ネットワークのDANに事故の報告をして、医療チームに今するべきことを教えてもらう。いつもなら片言の英語で欧米人に臆することなく話しかけるローカルスタッフも、この日ばかりは異様な雰囲気に押されて黙ってしまった。

しばらくすると病院から「政治家の1人が再圧チャンバーの中で携帯電話を使用して装置を壊してしまった」という衝撃的な回答が来た(携帯電話の持ち込みは発火などの恐れがあるため禁止されていることが多いけれど、持ち込んだだけで装置が壊れたのどうかは未確認)。ここで私が怒っても、ルイーズを動揺させるだけで意味がない。心を無にして再びDANに連絡し、最寄りのチャンバー施設を探してもらう。すると今度は別の意味で衝撃的な回答が来た。「次に近いチャンバーはメダンにあって、救助ヘリの発動には約2千万円かかります」と。ダイビングをカバーする保険に入っていなかったルイーズは顔面蒼白。飛べば1時間の距離をフェリーと救急車で搬送することになった。所要時間は予測不能。

ルイーズは唯一の女性スタッフで英語が話せる私の同行を希望した。私が担当していた生徒はアンディに引き継いでもらい、ドテント家の三男のイスファンを私たちの同行者に指定した。長男で店長のユディも同行を希望したが、性格的に向かない気がした。

イスファンが車を用意している間に、ルイーズのバンガローで彼女の荷物をまとめる。フェリーの最終便が出たあとなので、彼女は港に近いサナン病院で一泊することになった。誰かが血圧を測りに来ることも、タオルを替えてくれることもない。水以外の飲み物や薬は全部拒否した。DANはおせっかいなほど私に電話をかけてきて、「彼女はまだ存命ですよね!?」「容体はどうですか!?」と聞いてきた。オーストラリアにいるルイーズのお母さんからも状況説明を求められ、私は早くもくたびれていた。

翌朝、ユディから「ウレレ港に酸素ボンベを数本積んだ救急車を待たせてある」という旨の電話があった。さすがドテント一家である。ルイーズは、フェリーに揺られている間も泣き言ひとつ言わなかった。体調に変化がないか尋ねても、小さな声で「大丈夫」と言うだけで、「痛い」とか「つらい」とか一切言わない。

フェリーが港に入るや否やイスファンは救急車まで走って行って、車椅子を持ってきた。こういう気遣いのできるところが彼を指名した理由だった。2名の救急隊員がルイーズを車内のベッドに寝かせて、酸素ボンベを取り付けた。イスファンと私は車内の空いたスペースに腰を下ろす。

救急車がメダンのRSUビナ・カシ総合病院に到着したのは、出発から15時間後のことだった。ルイーズは2週間ほど入院し、チャンバーで複数の再圧治療を受けたけれど、治療費は全部で6万円程度だった。これがインドネシアでなければ、もっともっと高額な請求が来ていただろう。

その日の深夜バスと翌朝のフェリーでウェー島に戻った私たちはバッテリーの残量が0だった。でも、彼女の命と同僚の心は救われた。これでDANの電話からも解放される。

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ビナ・カシ病院の受付には、再圧チャンバーを用いた高気圧酸素治療の案内があった。減圧症の治療だけでなく美容健康や自閉スペクトラム症(ASD)にもと書かれているが、ASDに対する効果を裏付けるエビデンスは存在しない。
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病院のスタッフから「せっかくだから、あなたも入っていきなさい。肌にいいわよ!」とそそのかされて、私自身も高気圧酸素治療を体験してみた。チャンバー内はこんな感じで、酸素マスクを着用する。ナースが1人一緒に入ってくれたけれど退屈すぎて寝落ち。肌への効果も特に感じられなかった。

私は、この一連の自分の判断と行動が正しいと信じて疑わなかった。でも、その翌日、いつもの食堂で朝食をとっていると、最近ルビア・ティルタで働き始めたモロッコ出身の男性インストラクターに昨日までのことを聞かれ、こう言われた。

「仮に彼女が搬送途中で死んでいたら、その責任は君にあった。なぜなら君は、搬送チームの中で最もランクの高いダイビングのライセンスを持っていたから。そうなったら、君のインストラクター生命は終わりだ。その辺を分かった上で行ったのか? 君のために言っている。君の判断は危険すぎた」

ルイーズは私と一緒に潜っていないし、ダイビングライセンスのランクで救助活動の責任の所在が決まるなんて話は一度も聞いたことがない。でも、仮にそれが本当の話だったら何だというのか。放っておいたら命を落としかねない人間よりも、自分のライセンスを優先しろと? そんなの私のためじゃない。単なる保身の押し売りだ。

どうしたら、そんな考えに至るのか分からないと言ったあとは、怒りで言葉が出なかった。その代わりに涙が出てきた。人の命をそこまで軽く扱える人間がいることに吐き気を感じた。力で勝てる自信があったら、殴り倒していただろう。こんな考え方の人間が人の命を預かる仕事をしているなんて世も末だと当時は思った。

でも、今振り返って思うのは、彼には彼の正しさがあったということ。彼には彼の価値観がある。その価値観は、彼の生まれ育った国の文化や常識、家庭環境、交友関係、自分の経験などの上に築かれている。そして、その価値観をベースに彼は、あのように考えて、あのような発言をした。つまり、彼にとってはすべてが正しい。私からすると100%間違っていても、彼からすると100%正しいのだ。だからといって私に彼の正しさを受け入れることはできないけれど、裏を返せば彼にも私の正しさは受け入れられないということだ。

それはそれで問題ない。少なくとも、この件に関しては相容れないものとして、そっとしておけばいい。お互いを憎んだり嫌ったりしなくていい。でも、この正しさを“武器”として使ってしまうと、とんでもないことになる。それを証明してくれたのは、またしても彼だった。