インドネシア西部のアチェ州は、いつの時代も支配を嫌い、オランダや自国の政府と戦ってきた。イスラム教徒が人口の約9割を占めるインドネシアの中でも特にイスラム教の戒律厳守が徹底されていて、イスラム教(シャリア)による罰則を与えることも許されている。21世紀に入っても女性がタイトなジーンズの着用を禁止され、飲酒や賭博をした人、同性愛者などが宗教警察による“むち打ちの刑”を受ける場所だ(参照:Human Rights Watch, CNN Indonesia)。
でも、ほとんどの人が“アチェ州”という言葉から連想するのは、2004年のスマトラ沖大地震(M9強)と津波だろう。アチェ州の西海岸は壊滅的な被害を受けて、当時陸に乗り上げた大型タンカーは、その場所にそのまま残されている。
このアチェ州の最西端にあるウェー島(Pulau Weh)周辺の海底も、地元の人いわく「ひっくり返って、かき回されて」一部の海洋生物がしばらく姿を見せなくなった。でも、今はターコイズ色の海に無数の生物が暮らしていて、潜るたびに感動で息が止まりそうになる。
人口は約3万人。バンダアチェ空港からウレレ港へ行き、フェリーで約45~90分という辺鄙な島だが、2016年のウェー島にはダイブショップが3~4件あった。その中で最も古く、唯一地元の人が経営しているルビア・ティルタ・ダイバーズは、インストラクターになったばかりの私を雇ってくれた。ちなみに基本給はなく完全出来高制である。
このショップの創設者は店長イスマユディ・ドテント(通称ユディ)の父で、その弟のイスカンダルが総務と経理を務めていた。この地域では非常に知名度の高い一家で、この2人の名前を出せば、トゥクトゥクやタクシーでぼったくらる確率もゼロに近いと言われるほど。ダイブマスター(ライセンス取得済みのダイバーを水中で案内する人)やボートマン(ダイバーを乗せるボートの運転手)を含む10名ほどのローカルスタッフは全員男性で、女性は私だけだった。インストラクターはインドネシア人のアンディと私の2人。
お客さんは95%が欧米人で、5%がジャカルタやメダンなどの大都市から来るインドネシア人の観光客。でも、この島のインフラはミニマムなので、比較的ワイルドな暮らしが好きな人しか来ない。毎日のように停電するし、ネットは時々つながる程度。レストランと呼べるような場所は1~2件しか存在せず、屋台のような小さな食堂が中心だ。宿泊施設のオプションも限られていて、設備は非常にベーシック。バリやプーケットなどの島を想像して来たら半日も持たないだろう(2016年時点の話)。
病院はあるけれど、古くて原始的な医療器具しか置いていない(ただし、レントゲンを撮っても医療費は300円ほどである)。高度な医療施設は海を渡り、車で何時間も走った先なので、大きな怪我は命取りになりかねない。実際に、スペイン人の女性観光客がジャケットやブイを使わずに小型ボートがビュンビュン通るエリアでスノーケリングをしてしまい、エンジンに脚を巻き込まれて大怪我。止血もままならないまま、小型ボートで1時間かけて本島に搬送されるという事件があった。地元の人が危険だから行くなと言うのに“水中火山”を1人で見に行き、帰って来なかった人もいる。
ダイビングを初めて学ぶ環境としては易しくない。場所によっては波が高いし、潮の流れが非常に強い。最新の器材やピカピカのボートも存在しない。これはのちにタイの離島で教えていた時に感じたことだが、この島でライセンスを取ろうとする生徒には度胸と根性があって冷静な人が多く、最初のコースで身に付けるスキルのレベルも圧倒的に高かった。
しかし、あの日ショップを訪れたオーストラリア人女性のルイーズは、どこで潜ってきたにせよ、残念ながらダイビングの基礎である中性浮力を身に付けていなかった。夕方、ショップで片付けをしていると、ルイーズが入ってきて息苦しさ、関節の痛みと皮膚の痒みを訴えた。見ると、脂肪が多い部位を中心に斑点が現れている。1型減圧症の典型的な症状だった。
ルイーズを連れて潜ったダイブマスターの話では、彼女は水中でアップダウンを繰り返していたという。ルイーズのダイブコンピューターに記録されている潜水深度の推移を確認したら、彼女は一度水深15mくらいから減圧せずに海面まで浮上して再度潜水するという、死にたくなければ絶対にしてはならないことをしていた。それを見逃したダイブマスターの責任は重大だ。でも、それは本人が一番分かっているだろう。私たちは、同僚を救うためにも彼女を救わなければならない。