美空ひばりがデビューした1948年、中東ではパレスチナを中心にイスラエル対アラブ諸国の第一次中東戦争が起きていました。その発端は数千年前に遡ります。
めんどくさそう、と思う気持ちを否定する気はありません。だって実際めんどくさい話ですから。でも、このめんどくさい歴史があるから、今日の中東は魅力に満ちているのです。
日本が弥生時代だった2000年ほど前、現在のパレスチナの地にはユダヤ教を信じるユダヤ人の王国があり、エルサレムを首都としていました。が、この王国はキリスト教を国教とするローマ帝国によって滅ぼされ、ユダヤ人は散り散りに。その多くは中東を逃れ、ヨーロッパやアフリカで暮らすことを余儀なくされます。
その後、この地域ではイスラム勢力が台頭し、エルサレムを征服しました。イスラム教はアラビア語で書かれたコーランを聖典とする宗教なので、この土地の人々は自然とアラビア語を話すアラブ人になっていきます。でも、キリスト教徒やユダヤ教徒がパレスチナから消されたわけではなく、人頭税を払えば宗教ごと保護されて、エルサレムもユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地として存続していました。つまり、この時点では3つの異なる宗教が共存していたのです。
ところが、キリスト教を広めたイエス・キリストをユダヤ教の聖職者たちが十字架にかけてしまったもんだから、ユダヤ教徒は世界中で差別や迫害を受けることとなり、メジャーな職業にも就けなくなってしまいました。でも、なかなか賢いユダヤ教徒は、キリスト教徒が卑しいといって敬遠していた金融業に着手して、どんどんリッチになっていきます。
その間、現在のパレスチナの地はオスマン帝国の支配下になり、そこへ英仏独露が侵攻し、オスマン領の分割争いをしていました。それと同時にユダヤ人の間では「パレスチナに戻ってユダヤ国家建設するぞ!」という通称シオニズム運動が起こりつつありました。
そして、第一次世界大戦が勃発。イギリスは、ユダヤ人のシオニズム運動に付け込んで「パレスチナの地でユダヤ人のホームランドを作れるようにしてあげる」と適当に約束し、それと引き換えにユダヤ人の財閥から軍事資金を調達しました。しかもイギリスは、オスマン帝国が支配していた広大なアラブ地域を奪うため、アラブ人に「オスマン帝国と戦えばパレスチナを独立させてあげる」という、またまた適当な約束をします。つまり、アラブ人とユダヤ人の両方に同じタイミングで建国や独立を約束してしまったわけです。さらにイギリスは、同盟国のフランスに対して「戦争が終わったら、この辺の地域を山分けしようぜ!」とまで言っていました。なんたる悪党。現在のイスラエル(ユダヤ人)とパレスチナ(アラブ人)の対立、通称パレスチナ問題は、この“イギリスの三枚舌外交”が元凶と言われています。
終戦後のパレスチナはイギリスが委任統治することになりました。ユダヤ人はイギリスに騙されたことを知りつつも、約束通りパレスチナに戻ってきて建国の準備にかかります。このシオニズム運動は独ナチスによるホロコーストで一気に加速。イギリスは「ホームランド=国じゃないから建国は認めないよ。それに移住してくるのはいいけれど、パレスチナ人の権利は侵害しちゃいけないよ」などと言っていましたが、自分たちを一度騙したイギリス人の言うことをユダヤ人が聞くはずはありません。イギリスの目を盗んで貧しいアラブ人がユダヤ人に土地を売ったり、イギリスがアラブ諸国の油田に目をつけてアラブ人に媚びたりしているうちに、ユダヤ人とアラブ人の敵対が進んでいきます。
そして、ユダヤ人の入植が増え続けることに不満を持ったパレスチナのアラブ人は、イギリス委任統治政府とユダヤ人入植地に対する本格的な抵抗運動を開始します。これが俗にジハード(聖戦)と呼ばれるもので、現代まで続くパレスチナのイスラエルに対する抵抗運動の始まりです。
とにかく、両者の衝突が激化して収拾がつかなくなると、イギリスは無責任にもパレスチナを放棄して、成立したばかりの国連に問題を丸投げしました。英国紳士の欠片もない。そして、第二次世界大戦が終わりホロコーストの惨状が明るみに出ると、世界中からユダヤ人に同情票が集まったこともあり、国連は1947年に「パレスチナを分割してユダヤ人とパレスチナ人の2つの国家を隣り合わせで建設し、聖地エルサレムを国連の管理下に置く」というパレスチナ分割決議案を作成します。
ところが、この分割決議案が「パレスチナにおけるユダヤ人の人口は全体の3分の1に過ぎませんが、その人たちに土地の56.5%をあげちゃいます!」という内容だったもんだから、パレスチナは猛反発。翌1948年にイスラエルが建国されると、パレスチナと彼らを支持するアラブ連盟(当時はエジプト、ヨルダン、イラク、シリア、イエメン、サウジアラビア、レバノンの7か国)が一斉にイスラエルに攻め込みました。結果はイギリスとアメリカを背後につけたイスラエルの圧勝。これが第一次中東戦争の顛末です。
その後、第二次中東戦争を経て迎えた第三次(大惨事)中東戦争では、開戦から3時間でエジプトの空軍基地がイスラエル軍によって爆破され、たった6日でアラブ連盟の敗北が決定。イスラエルはヨルダン領だったヨルダン川西岸(英語で“ウエストバンク”と呼ばれるエリア)とエジプト領だったガザ地区を占領し、国連の管理下にあったエルサレムを“イスラエルの首都”みたくした上に、「これ以上はダメですよ」と国連から言われていたラインを越えて、どんどんパレスチナ人の土地を奪っていきます。これでパレスチナ難民が100万人以上発生し、ヨルダン、シリア、レバノンなどの近隣アラブ諸国に逃れました(しかも、この難民たちは「帰って来るとユダヤ人が少数派になり、社会が混乱する」というイスラエルの勝手な言い訳で、今も故郷に帰ることを許されていません。レバノンの難民キャンプを訪れたパレスチナ人の女性は、パレスチナに帰りたくても帰れないおばあさんに抱きつかれ、「私も一緒に連れて行って」と泣かれたそうです)。ちなみにガザ地区には、種子島くらいの面積に約200万人が押し込められています。
こんなことばかり続けば、フラストレーションが溜まって当然。パレスチナでは民衆が蜂起して、“インティファーダ”と呼ばれる大規模な抵抗運動が起きました。そこで1993年、イスラエルのラビン首相は、パレスチナ解放機構(PLO)のカリスマ的リーダーであるアラファト議長と「ヨルダン川西岸とガザ地区で独立を前提にパレスチナの暫定自治を始めましょう。イスラエルは少しずつ軍を撤退させますからね」という合意を結びます(この時から日本ではパレスチナが“パレスチナ自治区”と呼ばれていますが、みなさん、どうか心の中ではパレスチナを国として認めてあげてください)。
これで和平成立かと思われた矢先の2000年、のちにイスラエルの首相となるシャロンという人物がエルサレムでイスラム教徒を冒涜するような行動に出て、イスラエルとパレスチナの衝突が再燃します。これが第二次インティファーダに発展し、イスラエルでは爆弾テロが、パレスチナでは自爆テロが相次ぎました。
シャロン首相は、このテロを防ぐという名目でイスラエルとパレスチナを物理的に分かつ壁の建設を開始して、アル・アクサモスクというイスラム教の世界3大聖地の1つを壁の内側(イスラエル側)に閉じ込めてしまいました。(諸説ありますが)私が会ったパレスチナ人の話では、2022年現在で全長が500kmほどあって、イスラエルはあと200km以上伸ばすつもりでいるそうです。ちなみに高さは約8mで、ベルリンの壁(4.2m)より高いです。
イスラエルとしてはテロ(本当はパレスチナの正当防衛と正当攻撃)が収まって万々歳ですが、パレスチナとしては我慢ならない状況です。しかし、現在のパレスチナはヨルダン川西岸を支配する勢力(ファタハ)とガザ地区を支配する勢力(ハマス)が別々で、国内の足並みが揃っていません。超父権社会で女性の行動が抑圧されるなど、パレスチナ内部の問題もあって、二国連立に向けた和平交渉は難航している、というか止まっています。もちろん、パレスチナによる報復行為を全面的に肯定することはできませんが、イスラエルは今日も飽きずにパレスチナ人の土地を奪っては悠々と入植地を建設し、パレスチナの一般市民が石を投げて抵抗すれば、親友である米国の資金(毎年数十億ドル)で強化した軍事力をもって抑圧する、という実に不公平な占領を続けています。
この分離壁によって、ほとんどのパレスチナ人は特別な許可証がない限りエルサレム主要部に入れなくなり、移動の自由、高度な医療、イスラム教の聖地へのアクセスを失いました。子どもの学校や親の病院が壁の向こう側にあるのに入れない、つまり、家族がバラバラになってしまったケースもあります。仮に特別な許可証があっても、イスラエルに足を踏み入れるパレスチナ人は60以上の法律で“合法に”差別されます。
ここまで読んでもらって言うのもなんですが、この2000年に及ぶ歴史を自分の目でずっと見てきた人は地球上に1人もいません。よって、教科書やドキュメンタリーを含む歴史に関する資料は、作者があちこちで読み聞き聞きしたことを作者の都合のいいように解釈し、全体的に辻褄を合わせて100%事実のように書いたもの、と思ったほうが自然です。このクロニクルも例外ではありません。すべてを信じず、気になったところは自分で突き詰めてみてください。思わぬ真実が見えてくるかもしれません。
また、今後もイスラエルとパレスチナの問題は各国のメディアによって報道されると思いますが、それを観るときは、その背景を考慮して観てください。そもそもテレビや新聞は反感や不安を煽り、世界の分断を促すことが大好きです。それが視聴率に繋がるからです。だから、それに乗せられて簡単に「どっちが悪い」「誰のせい」と言わないでください。もともと、そんな簡単な問題じゃありません。ある日のイスラエルによる空爆やパレスチナによる誘拐は、数千年に及ぶ歴史の延長線上にある一点です。
そして、この問題には欧米列強の私利私欲が深く関わっていることを忘れないでください。その欧米列強とつるんでいる日本だって無関係ではありません。だから、その歴史の中で生まれた両国の感情(戦争が起きている本当の理由)を少しでも理解するための努力をしましょう。それが平和な国に生まれた人間が果たすべき最低限の責任です。